一部上場企業の大手総合商社・城ケ崎商事の社長令嬢である佑香は将来父の後継者となるべく経営を学んだが、親のコネではなく実力で入社し、ごく普通のOLライフを送ってきた。二十五歳の六月までは――。 入社三年目の六月、佑香は株主総会の席で突然、父が社長を退いて会長になるため次期社長となるよう指名される。それは彼女にとって、青天の霹靂以外の何物でもなかった。 とはいえ、社長就任を引き受けた佑香は以前から恋心を抱いていた二年先輩の野島忍を秘書に迎え、社長業に奮闘するが、彼は父の天敵だった副社長の甥で……。 そのうえ、同期入社の平本歩にまで猛アプローチされて……!? 若き女性社長をめぐる、トライアングルラブ!
View More ――わたし・
結婚前は図書館で司書として働いていた母とは恋愛結婚で、母は経営者一族である城ケ崎家に嫁いで来ることにも抵抗はなかったらしい。姑にあたる祖母が、母のことを好意的に受け入れてくれたからだそうだ。
そして、わたしはそんな両親の二人姉妹の長女として生まれ、三歳下の妹がいる。
男子の生まれなかった城ケ崎家において、後継ぎは当然長女であるわたしということになっている。もちろん、わたしもそのつもりで幼いころから父の後継者となるべく、〝帝王学〟ならぬ〝女帝学〟を身につけて育ってきた。英語・フランス語や中国語・韓国語などの多国語も習得したし、大学では経営学も学んだ。
でも、まずはごく普通のOLライフを満喫したくて、縁故入社ではなく実力で入社試験を受け、内定を勝ち取った。
会社では経営戦略室に所属し、他の先輩方や同期たちと一緒に仕事をして、社員食堂でランチをして、終業後は気心の知れた友人たちとお酒を飲みに行ったりカラオケを楽しんだり。そう過ごしていくうちに、友だちにも恵まれた。
そして、好意を寄せる人もできた。それが恋なのかどうかは分からないけれど……。
その人――
そんなわたしの平凡なOL生活は、入社三年目の六月、突然ガラリと変わってしまうことになる。父が株主総会の日に放った予期せぬ一言のせいで――。
――重役フロアーのいちばん奥に、会長室と連なる形で社長室は配置されている。その隣には秘書室の社員専用の給湯室があり、社長室からは直通の通路が設けられていて、わざわざ大回りしてお茶や飲み物を運ばなくていいようになっているので、秘書の皆さんは大変喜んでいるらしい。「――社長、僕がIDを認証してロックを解除させて頂きます。どうぞお入り下さい。今日からこちらがあなたの職場となります」「ありがとう、野島さん」 広々としていながらシンプルなインテリアで揃えられた室内に入ると、中でわたしを待っていてくれたのは――。「村井さん!」「おはようございます、佑香社長。今日からあなたの第二秘書を務めさせて頂きます。よろしくお願い致します」 ひっつめた黒髪にメタルフレームの眼鏡をかけた、紺色のスーツ姿の女性。村井瑞穂さん、三十二歳。ちなみにまだ独身だそうだ。「うん、おはよう。こちらこそ、今日からよろしく」 野島さんには敬語で話してしまって「敬語は不要だ」とたしなめられたので、村井さんには頑張って敬語抜きで答えてみた。まだぎこちないかもしれないけれど、これから少しずつ慣れていくつもりだ。「社長、就任会見は十時からですので、それまではこちらでゆっくりなさっていて下さい。私たちにしてほしいことがあれば、何なりとおっしゃって下さいね」「ありがとう、村井さん。でも、その前に会見のスピーチの原稿に目を通しておきたいから……」 本当は社長専用の回転チェアーにでも座って、室内を眺めながらのんびりしたいところだけれど、社長になってもわたしはやっぱり貧乏性というか仕事が好きらしい。そんなヒマがあるなら少しでも仕事をさせてくれという感じなのだ。「野島さん、用意してくれるって言ってたけど、できてる?」 彼には昨日のうちに、「就任会見のスピーチ用の原稿を作っておいてほしい」とお願いしていた。彼も忙しいのに申し訳ないと思ったけれど、「明日までに用意しておきます」と言ってくれたのだ。「はい、こちらが原稿でございます。社長、ご確認下さい」「ありがとう。野島さん、仕事早いね」 わたしは彼からA4サイズのコピー用紙二枚分の原稿を受け取ると、さっそく目を通し始めた。父から唐突に社長の座を譲られて戸惑ったけれど。それでも自分なりのやり方で社長業に励んでいこうとする決
「――ねえ、野島さん。父から聞いたんだけど、あなたが南井さんの甥御さんだっていうのはホント? でも、苗字が違うよね?」 二人きりのエレベーターの中で、わたしは思いきって彼に訊ねてみた。いくら敵対している相手の親戚だとはいえ、恋心を寄せている相手なので、初日から気まずいのはイヤだと思ったから。「ええ、事実ですよ。苗字が違っているのは、僕の母が副社長の姉だからです。嫁ぎ先の苗字が野島だったので」「なるほどね、そういうことか」「叔父が会長と敵対していることは僕も存じておりますが、僕は叔父とは違います。あなたに誠心誠意お仕えするつもりですのでご安心下さい」「……そう、よかった。秘書が敵側の人間だったら、安心して社長の仕事なんかできないもの」 もちろん、わたしがホッとした理由はそれだけではないのだけれど……。それはわたしの個人的な事情でしかない。「あの、僕から社長にも一つ、質問よろしいでしょうか?」「うん……、いいけど。なに?」「先ほどご一緒だった背の高い男性社員は、社長と一体どういったご関係なんですか?」「え?」 意表を衝かれた質問に、わたしは面食らった。これは、一体どういう趣旨の質問なんだろうか?「それって平本くんのことね、平本歩くん。彼は営業一課の所属なんだけど、大学からの同期で、ただの友だちよ。彼
――社長就任の記者会見当日。今日は梅雨の晴れ間らしく、朝からよく晴れていて暑い。 でもわたしはビシッとグレーのスーツで決め(でもブラウスは胸元に大きなリボンがあしらわれたフェミニンなものを選んだ)、江藤さんの運転する黒塗りの高級セダンで颯爽と出社した。 自慢のサラサラのロングヘアーはバレッタでハーフアップにして、少し華やかめのメイクもした。就任会見はテレビやネットなどで中継もされるため、多少はテレビ映りを気にしているわけである。「――では社長、いよいよでございますね。行ってらっしゃいませ」 本社ビルのエントランス前でクルマを降りる時、江藤さんに「社長」と呼ばれたわたしは何だかむずがゆい気持ちになるのと同時に、やっと「わたしが今日から社長なんだ」という実感がこみ上げてきた。「ありがとう、江藤さん、行ってきます!」 嬉しさと少しの不安が入り混じった気持ちで、わたしは彼に頷いて見せた。「――萌絵、平本くん、おはよう!」「あ、佑香……じゃなかった。社長。おはようございます」 エントランスをくぐり、さっそく出社してきた友人たちに挨拶すると、萌絵が急にかしこまってわたしに挨拶を返してきた。「萌絵、そんな急に態度変えないで。なんか淋しいから今までどおりでいいよ」「そうだよ、田口。急に態度変えたら佑香が混乱しちまうじゃんか。――うっす、佑香」 わたしが困惑していると、平本くんが萌絵をたしなめてから今まで通りの軽い調子で挨拶してくれた。一人だけでも態度を変えないでいてくれる人がいると、何だか安心する。それが気心の知れた友だちならなおさらだ。「あー……、そっか。ゴメン。じゃあ改めて……佑香、おはよ。今日から社長だね。頑張って」「うん、頑張るよ。二人とはこれからもずっと友だちだよ。帰りにも時々は一緒にゴハン食べたり、飲みに行ったりしようね」「いいねぇ。そん時は佑香、お前のおごりでな」「えー? なんでそうなるのよ」「なーんてな、冗談に決まってんだろ。もちろん今までどおり割り勘でな」「それがいいよね。あと、三人で社食でランチも。佑香に会食の予定とかない時にね」「うん。秘書の野島さんにそう言っとくわ」 社長になっても変わらない、この三人でのワチャワチャした関係が心地いい。 ――と、少し向こうにわたしに向かって|
わたしはバッグとジャケットをつかんで二階の自室へ上がり、私服――シンプルなオフホワイトのトップスとピンクベージュのフレアースカート――に着替えた。 わたしたち姉妹は私服の好みも対照的だ。どちらかというとフェミニン系のコーデが好みであるわたしに対して、日和はボーイッシュなパンツスタイルが多い傾向にある。 着替えを終えてリビングに下りていくと、ちょうど母が帰ってきたところらしく、ミネラルウォーターを飲んでいた。「おかえりなさい、お母さん。外は蒸し暑かったでしょ?」「ただいま。暑かったわー。すぐ近くだから江藤に迎えに来てもらうのも申し訳なくて、歩いて帰ってきたの」「そっか。おつかれさま。江藤さんはお父さんを迎えに行ってもらわないといけないだろうしね」 江藤さんというのが、城ケ崎家の専属ドライバーである。もう六十歳近い男性で、この家には三十年以上仕えてくれている人だ。わたしの就職を見届けることなく三年前に他界した祖父の送迎もしてくれていた。 父は今日、会社の重役数名と一緒に飲んでくると言っていたので、タクシーで帰ってくることにでもならなければ江藤さんが迎えに行くことになるだろう。 ちなみに父は五十三歳、母は一歳下の五十二歳。二人とも二十五歳の長女がいるとは思えないくらい若々しいので、ますます父の引退はまだ早すぎるんじゃないかと思ってしまう。……まあ、決まってしまったものは仕方ないけれど。「今、礼子さんが夕食の支度をしてくれてるから、私はその前に着替えてくるわね」「うん」「はーい」 母が寝室へ行ってしまうと、わたしは日和に訊ねた。「……ねえ、お母さんってわたしが社長になるってこと、前もって知ってる感じだった?」「知ってるんじゃないの? お父さんから聞かされてるでしょ」「やっぱりそうか……。じゃあ、知らされてなかったのわたしだけ?」 当事者であるはずのわたしだけがスケープゴートにされたようで、何だか悔しい。他の人はみんな知っていたのに、わたしだけ今日まで何も知らされずにいたなんて。「いやいや、あたしも知らされてなかったから一緒じゃん。あたしだって、今日お父さんからの電話で初めて知らされたんだってば」「あ、そっか」 一応、日和もわたしのお仲間ということにはなるけれど、やっぱりなんか悔しい。納得がいかない! * *
「――そういうあんたはどうなの? 就活、うまくいってる?」 わたしは話しながらもスマホから目を離さずにいる日和に訊ねた。さっきから何を真剣に見ているんだろう?「まだ始まったばっかりだからね、何とも。今はひたすら企業の情報収集を頑張ってる感じ? 選択肢は多い方がいいしね」「なるほど」 ウチの会社では聞いたことがないけれど、最近は入社してすぐに「こんなはずじゃなかった」と会社を辞めてしまう若者が多いらしい。そういう場合、会社と求職者とのマッチングがうまくいっていないことが多いと思う。入社試験を受ける前にその企業のことをちゃんと調べておくのは、理にかなっているのかもしれない。「あ、でも城ケ崎は最初っから選択肢に入れてないからね。姉が社長の会社に入るとか、もはやギャグになっちゃうじゃん?」 「……まあ、確かにそうねぇ」 父親が社長というだけでも「コネで入社した」と言われてしまうのに、姉が社長というのはもっとイヤだろう。姉と比べられるプラス、「これだから世襲は」と何も知らずに無責任な嫌味を言ってくる社員だっているかもしれない。実際に、わたしも今日、一部の社員――多分、南井副社長の派閥に属している人たちだろう――からそんなことを言われた。「それに、あたしもお姉ちゃんみたいに、自分の力で就職決めたいからさ。自分の働きたい会社は自分で決めるの」「そっか……。まあ、日和に『ここだ!』って思える会社がきっと見つかるよ。わたしも姉として応援してるから、就活頑張ってね」「うん。お姉ちゃん、ありがと。あたしは就活頑張るから、お姉ちゃんも社長の仕事頑張って!」&
「――ただいまー」 今日、わたしは終業後、萌絵や平本くんとは飲みに行かず、まっすぐ家に帰ってきた。ちなみに他の社員と同じく電車通勤である。 社長になったら、父みたく我が家の専属ドライバーにクルマで送迎してもらうことになるんだろうか? ちなみにわたしの家――城ケ崎邸は五十年前に祖父が建てた洋風の大邸宅で、大きなカーポートが備え付けられている。家の間取りは二階建て、全部で7LDKの広さがある。もちろん一部屋ずつも十分な広さが確保されていて、各部屋にトイレや洗面台、バスルームにウォークインクローゼットまで完備されているのだ。「おかえりなさいませ、佑香お嬢さま。日和お嬢さまはもうお帰りでございますよ」「ありがとう、礼子さん。お母さんは?」 玄関で出迎えてくれた住み込み家政婦の瀬戸礼子さんにお礼を言ってから、母がどうしているか訊ねた。母は現在無職の有閑マダムというやつだけれど、色々と趣味を持っていたり、ボランティア活動に参加していたりして、わりと家にいないことが多いのだ。 ちなみに日和というのがわたしの三歳下の妹で、現在二十二歳。大学四年生で、ただいま就職活動の真っ只中だ。「奥さまは本日、手話サークルの活動に出ていらっしゃいます。もうじきお帰りになると思います」「そっか、ありがとう。お父さんは……ちょっと遅くなるかも」「かしこまりました」 礼子さんが家の中に入っていくと、わたしもパンプスからスリッパに履き替えて家に上がり、広々としたリビングへ入っていく。ソファーではすでに私服姿の日和が、何やらスマホをいじりながら寝転がっていた。 世間では〝お嬢さま〟と言われているわたしたち姉妹だけれど、実際自宅での様子はこんなものだ。世間一般の二十代女子と何ら変わらない。「――あ、お姉ちゃん。おかえりー。今日は早かったね」「ただいま、日和。……うん。今日はなんか疲れちゃって、飲みに行く元気もなかったの」 わたしは脱いだスーツのジャケットとバッグを妹の向かい側のソファーにドサッと置き、その隣りに腰を下ろした。「ああ、そういえばお姉ちゃん、来月から社長になるんだってね」「そうだけど、なんであんたが知ってるのよ?」「ついさっき、お父さんから電話があったんだよ。期待されてる長女は大変だねー。あたしはまだ
Comments